ひなあられでわかる。あなたは関東人?それとも関西人?
ひな祭りとはなんでしょうか?
雛祭り(ひなまつり)は、女の子の成長を祈る行事です。
旧暦では桃の花が咲く季節になるため「桃の節句」と言われるようになりました。
関西と関東では見た目がまったく違う!ひなあられ
上の画像を見て、なにこれ?と思ったあなた!
あなたはきっと関東人ですね?
私たち関西人にはコレが、「ひなあられ」なのです。
関東版ひなあられ
米粒大で甘く、ポン菓子を砂糖などで味付けしたものです。
関西版ひなあられ
直径1センチ程度の大きさがあり、しょう油や塩味など。いわゆる「あられ」です。市販のものにはチョコが入っていることが多く、我がやではチョコが取り合いになります。一番早くチョコだけがなくなります。関西人あるあるですね。
ひなあられの発祥は!?
さて、そこで疑問に思うのは元祖ひなあられはどっちなのよ!?っていう不毛な疑問。これは諸説ありまして、ひな祭りの発祥が京都なので、関西版ひなあられが元祖!と考える説が有力です。しかし、辞書では、米菓子とされており、元祖は関東という説も捨て切れません。
「どっちでもいいよ。」というのが正直なところです。
ひな祭の歴史
では一体いつ頃から「ひな祭り」が行われていたのでしょうか?
諸説あるようですが、平安時代の京都では既に平安貴族の雅な「遊びごと」として行われていた記録が残されています。当時は「あそび」であり、儀式的なものではありませんでした。平安時代には、作った人形を川に流す「流し雛」があり、雛人形は「災い除け」のお守りとして祀られるようになったと言われています。
江戸時代には「人形遊び」と「節句の行事」とがあわさり、全国に広まっていきました。これが「ひな祭り」へと変わったのは天正(1573年)以降と言われています。この時から一生の災厄をこの人形に身代わりさせるという祭礼的意味合いが強くなり、身分の高い女性の嫁入り道具に数えられるようにもなりました。そのため、綺麗で、贅沢なものへと変わっていきました。
江戸時代後期には綺麗な着物を再現したものが登場し、のちに現代の雛人形につながるものが現れました。18世紀の終わりには、しだいに回りを飾る人形が増え、大きなスケールのものへと変貌してゆきます。
ひな祭りにはどんなものを食べるの?
特別、以前からひな祭りに「ちらし寿司」を食べる習慣があったわけではありません。しかし、えび(長生き)、れんこん(見通しがきく)、豆(健康でまめに働ける)などが縁起のいい祝いにふさわしく、華やかな色合いが、食卓に春のお訪れを感じさせてくれるため、ひな祭りの定番メニューとなりました。
また、桃の節句とも言われている事から、桃花酒(とうかしゅ)を飲む習慣がありました。
大人だけの楽しみ方ですね。
みなさんは、
今年のひなまつりはどんなひな祭りになりそうですか?